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福岡高等裁判所 昭和48年(う)310号 判決

被告人 上野四郎 今村美千典

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

当審(差戻前及び差戻後)における訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。

理由

本件検察官の控訴の趣意は、差戻前の控訴審において提出された検察官田邊緑朗作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、被告人両名の控訴の趣意は、差戻前の控訴審において提出された弁護人諫山博、同横山茂樹、同松本洋一連名作成の控訴趣意書(第一分冊ないし第三分冊)、控訴趣意書(補充)及び控訴趣意訂正申立書に記載のとおりであり、被告人両名の控訴の趣意に対する検察官の答弁は差戻前の控訴審において提出された検察官船津敏作成の答弁要旨と題する書面に記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

第一本件の経過

本件は上告審からの差戻事件であり、これまでの審理経過のあらましは、次のとおりである。

(一)  被告人両名に対する本件公訴事実の要旨は、「被告人上野四郎は、全農林労働組合長崎県本部副執行委員長、被告人今村美千典は、同組合同本部統計本所分会執行委員長の各地位にあつたものであるが、被告人らにおいて、農林省長崎統計調査事務所長早水信夫に対し、さきに同事務所の前所長松浦忠夫と全農林労働組合長崎県本部との間に取り決めていた旅費問題等一七項目にわたるいわゆる労働慣行につき、これが継続遵守方を求めていたところ、昭和三六年九月四日頃右早水所長より旅費の支給については同年九月一日から旅費法どおり支給する旨の通告を受けたので、これを撤回させるとともに前記労働慣行全般を確認遵守させる目的をもつて、同労働組合長崎県本部統計本所分会所属組合員であつて国家公務員である同事務所職員をして所属長の承認なくして就労を放棄し、同盟罷業を行わしめようと企て、被告人両名共謀のうえ、犯意を一にして同年一〇月一二日長崎市山里町三一二の二番地所在の同事務所において、国家公務員である前記本所分会組合員竹本不二夫等約五〇名に対し、被告人上野において「所長が要求を拒否したので坐りこみを実施する。最後まで団結して頑張り抜いてもらいたい」旨強調し、被告人今村において坐りこみの方法、注意事項等を指示して同事務所職員の就労放棄方を慫慂し、引続き翌一三日より同月二四日までの間(但し一五日、二二日を除く)連日にわたり坐りこみ中の同事務所職員に対し交々「団結を固め最後まで闘おう」「当局より一日長く頑張ろう」等と強調してその就業放棄の継続方を慫慂し、もつて国家公務員である農林省長崎統計調査事務所の職員に対し、同盟罷業の遂行をあおつたものである」というものである。

(二)  長崎地方裁判所は、第一審として昭和四一年七月一日、ほぼ公訴事実に副う事実を認定して被告人上野を罰金五万円に、被告人今村を罰金三万円に各処する判決を言渡した。(以下、これを原判決という。)

(三)  福岡高等裁判所第二刑事部は、控訴審として昭和四三年四月一八日、弁護人の控訴趣意に対し、「国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの。以下、国公法という。)九八条五項前段、一一〇条一項一七号の規定により処罰の対象となるのは、その争議行為等が政治目的のために行われるとか、暴力を伴うようなもの、または国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であるものなどのように不当性をもつものについて、これをあおつた場合にまず限定しなければならないと解するのが相当である」「もともと、あおり行為は感情に対する刺戟であるところから、その相手方に与える影響の程度範囲についてかなりの差異を生ずることは否めないところであるが、争議行為等に直接利害関係のない第三者、あるいは当該団体行動とは無関係の立場にある国家公務員が、その争議行為に介入しこれをあおるとか、当該争議行為等に密接な利害関係を有する国家公務員であつても、そのあおり行為が争議行為等の際に通常行われるような手段、方法、程度を超えて激越にわたり、非難可能性の微弱な争議行為等を前記の意味における不当性をもつものに進展させる可能性のある場合のように、あおり行為自体に社会的許容性を欠くときには、なおそのあおり行為の可罰性を認めざるをえない」として争議行為等とあおり行為の両面につき限定解釈をし、その限度で国公法九八条五項前段所定の行為をあおつた者を処罰する同法一一〇条一項一七号の規定は憲法一八条、二一条、二八条、三一条に違反しないとしたうえ、「本件争議行為は、暴力を伴つたものではなく、また、政治目的のために行われたものとも認め難く、本件争議の中心目的は、国家公務員等の旅費に関する法律(以下、旅費法という。)による三等旅費適用者に対しても運用上二等運賃との差額を補填するという職員に対する旅費支給についての労働慣行を早水所長が改廃しようとしたことに対し、組合側において、この労働慣行の継続実施を要求するところにあつたところ、もともと旅費の問題は、昭和三二年四月一日から施行された同年法律第一五四号一般職の職員の給与に関する法律の一部を改正する法律による国家公務員の俸給表改訂に伴い同法付則第二八項により旅費法の一部が改正されて、旅費法改正前は二等旅費適用資格者であつた五級職以上七級職以下の者および改正時二等旅費適用資格者となるべき者が新俸給表により七等級に格付けされたため三等旅費の支給があるにとどまつたので、その結果の不合理が指摘されて、中央で農林省と全農林省労働組合との間で交渉が重ねられ、昭和三二年一〇月、三等旅費適用資格者にも運用で二等旅費に近い金額を支給するよう取扱うことの了解に達し、各地方でもこれにならい、長崎統計調査事務所においても、当時の松浦所長と全農林長崎県本部との間に前記労働慣行(14)項のとおりのとりきめがなされて運用されてきたものであり、旅費法の改正を含む前記給与法の改正法律が成立した際右改正旅費法中現行より不利益となる部分については十分考慮することとの国会の付帯決議のあること、右労働慣行(14)項の趣旨も中央交渉の結果を出るものとは認められないこと等から、右旅費支給に関する労働慣行をもつて、旅費法違反のとりきめであるとは断じえないのであり、したがつて、右労働慣行の継続実施の目的を直ちに法律違反の要求をするものであつて、違法なものであると断じえない」とし、さらに、本件争議行為により、本省における業務が重大な支障を来たしたことは認められず、もとより、国政の停廃を招き、ひいては国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であつたとは認め難く、また、被告人らの争議行為の際における具体的行動が、争議行為等に通常一般に随伴するものの域を出るものではなく、争議行為を前記のごとき不当性をもつものまでに進展させるほどの激越なものであつたとは認められないのであるから、これを国公法一一〇条一項一七号に該当するあおり行為であるとは認め難く、被告人らの本件各所為はいずれも罪とならないものであるとし、第一審判決は法令の解釈適用を誤つた違法があるとしてこれを破棄して、被告人両名に対し無罪の言渡をした。(以下、これを旧第二審判決という。)

(四)  最高裁判所大法廷は、上告審として昭和四八年四月二五日、「原判決(旧第二審判決)のいう中央での了解が成立していたかどうかは、証拠上きわめて疑わしいものがある。つぎに、旅費法は、昭和三一年五月一日法律第八七号によつて改正され、従来二等運賃の支給を受けていた四、五、六級職の者が三等運賃を受けることとなり、ついで昭和三二年六月一日法律第一五四号一般職員の給与に関する法律の一部を改正する法律(遡つて同年四月一日より施行、以下、新給与法という。)付則二八項により、給与体系の改定と相まつて旅費法も一部改正され、新たに六等級以上の職員は二等運賃を、七等級、八等級の職員は三等運賃を支給されることとなつたが、人事院の行なう職員の格付作業により旅費法の運用上一部職員が不利益となるのではないかと憂慮された結果、右新給与法の審議の際、昭和三二年四月一六日『改正旅費法中、現行より不利益となる部分については十分考慮すること。』との国会の付帯決議がなされるに至つたものであり、この付帯決議の趣旨は従来昭和三一年五月一日法律第八七号旅費法によれば、二等運賃を支給されていた一般係員で六級以上の者たとえば七級職の者の一部が新給与法上六等級に格付けされ、一部が七等級に格付されたため、六等級に格付けされた者は依然二等級運賃の支給が受けられるのに、七等級に格付けされた者は三等運賃しか支給されなくなるという不利益をこうむることを考慮した経過的なものと解されるのであつて、大蔵省では右の国会の付帯決議に基づき職員の等級決定までの暫定措置ないし経過的取扱いとして通牒(昭和三二年七月三一日、蔵計第二四五六号)を発し、右付帯決議にそう措置を講じていることが窺われる。ところで、このような不利益の発生は、給与体系の改定に伴う一時的な現象にとどまり、改定時七級職の者でたまたま七等級に格付けされた者も間もなく六等級に昇格され、二等運賃の支給を受けることとなると解されるので、旅費法改定時から四年以上も経過した本件紛争の昭和三六年一〇月当時にいたるまで昇格されることなく七等級にとどまつた者が被告人らを含む農林省長崎統計調査事務所の職員の間に残存していたかどうかは、証拠上これを窺い知ることができない。以上によつてみると、農林省と全農林労働組合との間にいわゆる労働慣行(14)項のような話合のついたことを前提とし、かつ、本件争議当時にも農林省長崎統計調査事務所の職員のなかに前記給与体系の改定に伴う不利益をこうむつている者が果して現存しているかどうかも確定しないで、本件の労働慣行(14)項の継続実施を要求することをもつて旅費法違反のとりきめと断ずるをえないとする原判決には、事実を誤認しあるいは審理不尽に陥つた違法があるというべきであり、この誤認ないし違法は、原判決に影響を及ぼし、これを破棄しなければ著しく正義に反するものといわなければならない。」旨判示して、原判決(旧第二審判決)を破棄して差戻す判決をなしたものである。(以下、これを差戻判決という。)

以上(一)ないし(四)のとおりなので、当裁判所は、前記各控訴趣意書、控訴趣意書(補充)、控訴趣意訂正申立書及び答弁要旨と題する書面の所論に鑑み記録を検討し、とくに差戻判決によつて指摘されたところの、旧第二審判決のいう中央での了解が成立していたか否か、本件紛争の当時においても、農林省長崎統計調査事務所の職員のうちに、新給与法による給与体系改定時に七級職から七等級に格付された者でなお昇格されることなく七等級にとどまつた者が残存するか否か等に関してさらに事実の取調を行つて、その審理を遂げたものである。

第二当裁判所の判断

一  本件差戻判決の拘束力について

弁護人は、破棄判決の拘束力の及ぶ範囲は、破棄の直接の理由のみに限られるものではなく、その破棄の直接の理由の論理必然的前提関係となつている理由の部分をも含むものであるところ、本件差戻判決は、「本件労働慣行(14)項の継続実施を要求することをもつて旅費法違反のとりきめと断ずるをえないとする原判決(旧第二審判決)には、事実を誤認しあるいは審理不尽に陥つた違法があり、この誤認ないし違法は、原判決(旧第二審判決)に影響を及ぼす」旨破棄の直接の理由を明示しているものであるが、右の結論は、右の事実誤認、審理不尽は犯罪の成否に影響がないとする少数意見を排斥することを論理必然的前提として下されているものであるから、当裁判所は、この点においても拘束力を受るものであり、したがつて、事実誤認の疑が解消し、審理不尽の違法が解明されて、なお、「旅費法違反のとりきめと断ずるを得ない」ことになれば、限定解釈論をとるか、適用違憲論をとるか、あるいは可罰的違法性論をとるか、如何なる理論をとるかはともかくとして、少くとも「本件労働慣行(14)項の継続実施を要求することをもつて旅費法違反のとりきめと断ずるをうるか否か」が本件犯罪の成否に影響するとする立場にしたがつて判決をしなければならないものであると主張するので、先ず、この点について判断を加える。

そもそも、破棄判決の拘束力は、裁判所法四条に基づくものであつて、審級制度を認めることから事件に対する裁判権行使を統一するために、上級審の破棄判決について特別に認められた覊束力であり、その拘束力の及ぶ範囲は、破棄の直接の理由となつた否定的な判断に限定されるのである。その否定的な判断の根拠とされた肯定的、積極的な理由は、破棄に対しては縁由的な関係に立つに過ぎないものであるから、裁判所法四条に基く拘束力は認められないものと解するのが相当である。これを本件差戻判決についてみるに、右の拘束力が生ずる判断事項は、職権調査によつて取上げられた事項である、旧第二審判決には事実誤認ないし審理不尽の違法がある旨指摘する点に限定されるのである。

なお、本件差戻判決が、この誤認ないし違法は旧第二審判決に影響を及ぼす旨判示しているものであることは所論の指摘するとおりであるが、しかし、これが、にわかに、国公法一一〇条一項一七号のあおり行為等の解釈について、限定解釈論、適用違憲論または可罰的違法性論等の如く、この誤認ないし違法が犯罪の成否の判断に影響を及ぼすとの立場をとることを論理必然的に前提としなければならないものであるとは解しえないことは、本件差戻判決中の天野裁判官の補足意見に照らしても明らかなところである。

もつとも、本件差戻判決中に記載された意見を見れば、国公法九八条五項一一〇条一項一七号については何らいわゆる限定解釈をしなくとも憲法二八条、三一条に違反するものではなく、したがつて、被告人らの本件行為が、争議の目的、態様のいかんを問うまでもなく、国公法の前記罰条に該当することが明らかであつて、国公法一一〇条一項一七号のいわゆるあおり行為等についていわゆる限定解釈を加えたうえ被告人らの本件所為が国公法一一〇条一項一七号に該らないとした旧第二審判決は国公法の右規定の解釈を誤つたものであるとの意見が、多数を占めるに至らなかつたことが観取される。しかしながら、最高裁判所の破棄判決中に付記される意見は、判決構成過程における各裁判官の意見に過ぎないのであるから、たとえこれが破棄の理由となつた判断となんらかの関連性を有していたとしても、破棄判決の拘束力を拡張したり限定したりする根拠となすべきものではない。とくに、本件差戻判決は、前記破棄事由以外にその余の違憲の主張については判断すべきものではない旨明記しているのであるから、検察官がその上告趣意第一点ないし第四点において主張するところの、国公法九八条五項一一〇条一項一七号に関する旧第二審判決の限定解釈の不当性については、なんらの判断をも示していないものというほかない。したがつて、当裁判所は、国公法九八条五項一一〇条一項一七号(改正後の国公法九八条二項一一〇条一項一七号)の合憲、違憲の判断について、本件差戻判決により覊束を加えられるものではない。

二  弁護人の控訴趣意第五点(事実誤認)について

所論は、要するに、原判決は、罪となるべき事実として、被告人両名が、昭和三六年一〇月一二日の本所分会臨時大会において、国家公務員である農林省長崎統計調査事務所職員竹本不二夫ら約五〇名をして就業を放棄させて同盟罷業を行わしめようと企て、両名共謀のうえ、被告人上野において、所長が要求を拒否したので明一三日から坐りこみを実施する、最後まで団結して頑張り抜いて貰いたい旨強調し、被告人今村において、坐りこみの方法、注意事項等を指示して、同事務所職員の就業放棄方を慫慂し、引き続き、翌一三日より同月一七日まで(但し、一五日の日曜日を除く。)は出勤した職員の半数宛二時間交代で、同月一八日から同月二四日まで(但し、二二日の日曜日を除く。)は全員一斉に勤務時間中の坐りこみがなされたが、その坐りこみ中の同事務所職員に対し、被告人両名において、連日携帯マイクを使用する等して、交々、「団結を固め最後まで闘おう。」「所長が反省するまで徹底的に闘おう。」「当局より一日長く頑張ろう。」等と強調するなどして、いずれもその就業放棄の継続方を慫慂し、もつて国家公務員である長崎統計調査事務所の職員に対し、同盟罷業の遂行をあおつたものである旨認定し、被告人両名に対し有罪の宣告をなしているが、前記本所分会臨時大会における被告人両名の言動は、既に民主的な手続を経てなされた組合の決定事項の伝達、指示、説明の範囲内にとどまるものに過ぎず、いわゆる「あおり行為」に該当するものではなかつたものであり、また、被告人両名の坐りこみ実施現場における言動については、これを個別的、具体的に認定しうべき証拠は存しないのであつて、原判決は、この点において事実を誤認し、この誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れないというものである。

そこで、先ず、当裁判所は、差戻判決が旧第二審判決中に事実の誤認ないし審理不尽の違法がある旨指摘する点について判断を加える。

原判決は、昭和三二年四月一日国家公務員の俸給表改訂に伴い、国家公務員等の旅費に関する法律(以下、旅費法という)が改正され、その結果、右旅費法改正前は(当時の鉄道)二等旅費適用資格者であつた五級職以上七級職以下の者及び改正時二等旅費適用者となるべき者が、新俸給表により七等級に格付けされたため、三等旅費しか支給されないこととなり、その間の矛盾、不合理が指摘され、中央の労使間において交渉が繰り返えされたが、漸く同年九月、当局側において「三等旅費適用者にも運用面で二等旅費に近い金額を支給するように取扱う。」との要求を容れて事実上の了解事項が成立した旨認定し、旧第二審判決もまた右と同一事実を認定している。

しかしながら、原審及び当審において取調べた関係証拠によれば、昭和三一年法律第八七号により旅費法が改正されて、同年六月一日より、従前二等運賃の支給を受けていた六級職以下四級職の職員が三等運賃適用者に格下げされ、続いて昭和三二年法律第一五四号により新給与法が制定され給与体系が改定されて、一五級ないし一級に区分されていた俸給表が一等級ないし八等級に区分し直されるとともに、同法附則二八項により併せて旅費法も改正され、七等級、八等級は三等運賃適用者、六等級以上が二等運賃適用者として区分された結果、旧俸給表七級職であつた者で新俸給表七等級に格付けされた者は、二等運賃適用者から三等運賃適用者に格下げされたこと、昭和三五年七月、国鉄運賃改訂により三等が廃止されたため、二等、三等の各運賃区分は一等、二等の各運賃区分となつたものであることが認められる。

しかして、押収してある農林新聞号外(速報)四二号、同四三号、(昭和四一年押第一〇五号符号八六号、八七号、以下符号のみを記載する)、全農林第六回定期全国大会経過報告書(符号九二号)、全農林省労働組合執行委員長作成昭和三一年六月一六日全農林指令第二六号(符号一一二号)、農林新聞三三一号(昭和三一年六月二日号)、同三三二号(同月四日号)並びに当審(差戻前及び差戻後)証人江田虎臣の供述によれば、全農林省労働組合においては、早くも、昭和三一年二月末頃から、大蔵省内において旅費法改正の動きのあることを察知し、組合員が蒙むるべき不利益を最少限度に食いとめるべく国会議員に働きかける等の活動を開始したものの、六級職以下四級職の職員の運賃等級格下げが必至となるや、農林大臣官房家治経理厚生課長との間で、日額旅費の増額要求を書面をもつてなしたのと併せて口頭をもつて右旅費等級格下げにより蒙むる職員の不利益を既得権の侵害であるとして旅費法の運用による是正を要求した結果、同年六月一日頃、同課長から右旅費法運用につき口頭による回答をえたことが一応認められる。

しかしながら、前顕農林新聞三三二号(昭和三一年六月四日号)及び押収してある全農林指令二六号(符号一一二号)(特に、一四頁以下)によれば、右の家治経理厚生課長の回答は、あくまでも非公式の回答にとどまるものであつたうえ、その回答内容は、右各文書記載の文言によれば、「原則的に六級職アンバランスであることは判る。だが、実行上これを直すことはいえない。しかし、出張で足を出させることはできない。足を出させないように考慮したい。特別に違法とみなされないものについては了承する。この点については各局から問い合わせがあつた場合も同様に回答する。」というものであり、その文言自体からは、その趣旨を明確にとらえ難く、これのみをもつてしては、家治経理厚生課長が組合側に対し如何なる回答をなしたものともその意図したところをにわかに確定し難いのである。

当審証人江田虎臣(差戻前及び差戻後とも)は、組合側が家治課長に対し旅費法改正に伴い六級職以下四級職の職員の蒙むる不利益を運用によつて補填することを要求していたところ、同課長は、各命令権者において違法とならない運用の方法によつて右不利益を補填することは差支えないので、各局責任者にも連絡を取つてその旨を徹底させることを了解したものである。右了解事項は、同年一一月、家治課長の後任者との間で再確認し、昭和三二年再度の旅費法改正が行われた際に、さらに右確約事項が継続されることを確認し合い、結局、大臣官房との間で前記の三等運賃適用者となつている七等級、八等級について二等運賃相当額を支給するよう各原局を指導する旨の合意が成立した旨供述するのである。そして、全農林省労働組合第七回定期大会(昭和三二年七月二二日から二四日まで開催)資料(記録四四五六丁)中には、「三一年度における運用については、さきに一一月農林当局との間に三一年五月旅費法改正のさいにおいて了解した線を再確認させた。(連絡三九号参照)すなわち、〈1〉出血出張はさせない。〈2〉違法でない方法により改正前の従来の額をカバーするやり方については黙認し、その様に口頭伝達指導する等であつた。さらに、今年度の給与改訂にともなう旅費法改悪についても格付のたたかいとともにおしすすめ『従来通りの運用で行う。したがつて出血出張はさせない。旧七級以上は二等で運用し実質的に既得権のはく奪にならないようにする』点でおおむね了解にもち込んだ。」との記載があり、また、押収してある全農林第五回中央委員会経過報告(昭和三二年一〇月一七、一八日開催)(符号九八号)中には、「旅費法改悪にともなう運用方針の変更については、大蔵省での検討がおくれ、八月中旬にいたつて、要求、付帯決議をほとんど無視した内容を各省に通達してきた。運用面での闘いは、すなわち、最も問題とされていた七等級格付者の二等旅費支給については「三等級以上に随行する旅行」の場合にのみ支給することができるとされたのみであつた。全農林は大蔵通達前後から農林省における運用について直ちに交渉に入り、一〇月、次のような方法での運用を決定、妥結した。〈1〉行政職俸給表(一)七等級以下の職員については、運用で二等旅費に近い額(二等相当額)を支給するよう部局、場所を指導する。〈2〉旧七級職については国会の附帯決議もあるので二等を支給する。」旨の記載があり、押収してある全農林省労働組合書記長江田虎臣作成昭和三二年一〇月一二日付全農林連絡四六号(符号一〇八号)中には、「旅費法の運用について、当局と全農林との間に数次の交渉の後次のような方法で運用されることがきまつた。イ「新旅費法では行政職俸給表(一)の適用職員のうち七等級以下は三等旅費となつているが、具体的運用のさい二等旅費に近い額(二等相当額)を支給するよう指導する。」旧六級職以下のものは、前回の旅費法の改悪で三等におとされたが、農林当局は、内部運用として、日数を増加するなどの操作によつて二等旅費相当になるよう全農林と確約してあつた。今回の改訂においてもその確約が生きていることを相互に再確認した。したがつて、旧四級職以上の職員については、どの新等級に格付されたとしても、当然二等旅費相当額が支給される。しかしながら、この点については、各部局、場所においては運用はまことに不徹底であつた。また、新旅費法の規定では旧四、五、六級職は二等運賃の支給はできないことになつており、当局も右記の再確認内容を文書をもつて下部に連絡徹底することはできないといつている。したがつて、下部各場所へは趣旨が徹底しないおそれも多分にあるので、各支部、分会のたたかいにより、再確認の内容を確認させ、運用の実施を確定させるようつとめることがのぞましい(再確認の内容については、九月三〇日、各局庶務課長会議にて、官房経理厚生課長が趣旨を説明し、各局はそれを諒承している。)場所長交渉等の闘いによつて解決がえられない支部、分会は本部にそのむね報告すること。ロ「改訂新給与法における(昭和三二年三月三一日現在)七級在級職員が新給与法への切替によつて七等級、八等級に格付けされた場合については国会における附帯決議もあるので、大蔵省通達の運用方針もあるが、公然と二等を支給するようその運用について具体的取扱を下部に通知した。」「係長に相当な用務」という表現が用いられているが、これは旅費法の解釈上とくにつけたもので運用上の根拠はないこと(したがつて現実にはすべてが「係長に相当する用務」であること)は当局も認めているので、全員二等(又は上級)で計算支給させるようにすることが必要である。」旨記載されている。

当審証人家治清一(差戻前)、同川戸孟則(差戻後)及び同丸山幸一(差戻後)の各供述その他原審及び当審において取調べた関係証拠によれば、農林大臣官房経理厚生課長は、昭和三〇年一二月から同三一年六月まで家治清一が、同三一年六月から同三二年五月三一日まで川戸孟則が、同三二年六月一日から同三四年四月一一日まで丸山幸一がそれぞれ在任していたものであること、昭和三二年法律第一五四号新給与法が国会で審議された際、人事院の行う職員の格付け作業により旅費法の運用上一部職員が不利益を蒙むるのではないかと憂慮された結果、昭和三二年四月一六日、衆議院において「改正旅費法中、現行より不利益となる部分については十分考慮すること」との附帯決議がなされたこと、右附帯決議をうけ、大蔵省主計局長より通牒(昭和三二年七月三一日付蔵計二四五六号)が発せられ、七等級の者が三等級以上の者に随行する旅行であつて、二等運賃によらなければ公務上支障を来たすときは、当分の間、二等運賃を支給できる旨の解釈通牒(以下、「随行通達」という。)がなされたこと、全農林省労働組合より、右「随行通達」によつては旅費格下げ者(旧七級職在級者で七等級以下に格付けされたもの)に対する不利益救済として不十分である旨の要求を受けて、農林省内部において検討が加えられた結果、右「随行通達」の趣旨にしたがえば、右随行は、一つの例示であつて、これと同等の合理性と必要性のある場合には旅費法の解釈適用として二等旅費を支給することが許されるとの考え方に立脚し、官房長、官房秘書課長の意向をただし、庶務課長会議にもはかり、他官庁の運用をも調査したうえで、大臣官房経理厚生課長名をもつて、同年一〇月初め頃、各部局に対し、右「随行通達」について、右随行の場合の他に、旧七級職以上の職務にあつた者で七等級に格付された者が係長に相当な用務のため旅行する場合には二等運賃を支給することができるものと解釈して差支えない旨の通知(以下「係長通達」という。)を発したことが明らかである。そして、右丸山幸一の証言によれば、当該職員が係長に相当な用務で出張するものであるか否かは、各命令権者の認定に委ねられたところのものであつたことが認められる。

しかしながら、右の川戸孟則及び丸山幸一の両名は、いずれもその各証言中において、昭和三一年の旅費法改正によつて既に三等旅費運賃者に格下げになつていた旧六級職以下四級職在級者の不利益救済の取扱については、前任者である家治課長から特段の事務引継ぎを受けたことはないし、また、それぞれ経理厚生課長として存任中に、全農林省労働組合との間に特段の合意を成立させたことはない旨明言し、前記連絡四六号等組合関係文書の記載事項を否定する供述をするので、さらに検討をすすめる。

押収してある全食糧労働組合中央執行委員長三本武司作成昭和三一年四月二六日付全食糧指令一二号「旅費法改正に伴う既得的権利の擁護と日額旅費の改正要求について」と題する書面(符号一一九号)並びに前記証人川戸孟則、当審証人西川恵夫、同伊藤武知及び同坂野孝(第一回)の各供述その他原審及び当審において取調べた関係証拠によれば、全農林省労働組合ならびに傘下各単組においては、昭和三一年旅費法改正による下級職員旅費格下げの動きを察知するや、中央においてその反対闘争を展開する一方、組合下部組織においても、各場所の命令権者に対して、出張命令等の運用により(例えば、出張にあたり適宜宿泊を増やす等の措置)、六級職以下四級職の職員の蒙むる不利益を補填する措置を講じさせる交渉を開始したこと、しかしながら、各場所における従前からの旅費予算の配分、消化の仕方の違いその他の事情により右差額補填の運用は容易に全国的に実施されるには至らなかつたものの、農林省の本省内においては、命令権者の裁量によつて下級職員の遠距離出張について出張日数を一泊分水増しして配慮することが現実に行われていたことが認められるのである。してみれば、組合側が、各場所の命令権者に対して、その裁量権限の範囲内に属する運用上の処理として、六級職以下四級職の職員が旅費格下げによつて蒙むる不利益を適宜宿泊数を増やす等の措置を講ずることによつて補填させる闘争を全国的に展開するに際して、官房経理厚生課長の了解を求めたこと、これに対し、同課長においては、各命令権者においてその裁量権限の範囲内において組合側の要求に対処してしかるべく処置することを了承し、併せて、各局から命令権者の裁量の範囲内での処理に関して問い合わせがあれば同趣旨の回答をする旨組合側に非公式に答えることは十分にありうるところと考えられる。しかして、各場所の命令権者の権限と責任の範囲内において対処しうべき事項であり、しかも、それが組合側との正式の合意事項ではなかつたとすれば、当時官房経理厚生課長の職にあつた家治清一において、組合側に対して右の趣旨の回答をなしたことを失念してしまつていることも十分に肯認しうるところである。したがつて、前記農林新聞その他の組合関係の各文書に記載されたところの官房経理厚生課長家治清一が昭和三一年六月に組合側に与えた回答は、あくまでも非公式のものであり、しかもその趣旨は前記の範囲を出るものではなかつたものと認めるのが相当であり、前記江田虎臣の各証言中これに反する部分はにわかに措信し難い。

しかして、前掲連絡四六号等の組合関係の文書に記載されたところにしたがつても、昭和三二年一〇月、農林省と全農林省労働組合との間で確約されたとする事項のうち、昭和三一年に旅費法改正によつて格下げとなつた旧六級職以下四級職の職員の不利益救済については、同年になされた確約事項をさらに再確認したにとどまるものであつたことが明らかであるから、これは結局、前記の家治清一が官房経理厚生課長の職にあつたときに組合側に与えた非公式回答(前記農林新聞三三二号に掲載の回答)の再確認の範囲を出るものではなかつたものと認めるのが相当である。したがつて、前記連絡四六号中確約事項イの項に記載された「新旅費法では行政職俸給表(一)の適用職員のうち七等級以下は三等旅費となつているが、具体的運用のさい二等旅費に近い額(二等相当額)を支給するよう指導する。」との記載は、組合サイドにおいて誇張した表現であつたものというほかなく、江田虎臣の前記の各証言中、右認定に反する部分はにわかに信用できない。

次に、昭和三一年、同三二年の二度に亘る旅費法改正に伴い一部職員が蒙むることとなつた不利益の救済に関して、農林省統計調査部と全統計労働組合本部との間に、特段の合意が成立していたか否かについて検討する。

藤巻吉生の検察官に対する供述調書によれば、法律の運用に関することは、農林省の職制上、統計調査部長が独自に方針を決定して、下部機関に通達することができないことになつていたことが明らかであるから、統計調査部長は、旅費法の運用に関しては、官房経理厚生課長等大臣官房の指示、通達にしたがい、これを下部機関に伝達するにとどまり、独自に組合との間に合意を成立させて処理することはなかつたものと認めざるをえない。当審証人久我通武の供述その他の関係証拠によつても、統計調査部長において、旅費法の運用に関して、独自に組合側と特段の合意をなしていたものとは認め難く、寧ろ、統計調査部長と全統計労働組合の間における旅費法運用に関する話合いは、前記の家治経理厚生課長が全農林省労働組合に与えた非公式の了解及び同課長の後任者による右了解の再確認ならびに前記「係長通達」による運用の範囲を出るものでなかつたことが、十分に窺われるのである。

当審証人西川恵夫及び同伊藤武知の各供述並びに押収してある全統計第八回全国大会議案(符号八九号)、全統計第八回全国大会議事録(符号九〇号)、全統計第九回定期大会議案(符号九五号)、全統計第九回定期大会(第三回)議事速記録(符号九六号)、全統計第一〇回定期大会(第一日)議事録(符号九七号)その他原審及び当審において取調べた関係証拠によれば、全統計労働組合においては、昭和三一年旅費法改正によつて格下げとなつた六級職以下四級職の職員について、二等運賃との差額を各命令権者の運用によつて支給させるべく、各支部において現地の各事務所長との交渉に入つたが、翌年七月までに差額支給の運用を獲得したのは僅かに一五支部にとどまつたこと、昭和三二年新給与法による俸給表の改定とこれに伴う旅費法改正とによつて、新たに旧七級在級者で七等級に格付けされた者の旅費格下げ問題が生じた際、右該当者については、前記「係長通達」によつて二等旅費の支給を受けることに成功したが、七等級に格付けされた者のうち右該当者以外の者及び八等級に格付けされた者については、全支部において二等運賃との差額支給の運用の実現をみるまでには至らず、その実現をみた支部においても、差額支給の運用の方法は各地の実情に応じて区々のものであつたことが認められる。

次に、長崎統計事務所におけるいわゆる旅費慣行の成立の経緯について検討するに、証人河口秀夫、同松浦忠夫(以上、原審)、同松尾芳二郎、同井手清治、同苣田義一郎、同岡忠次、同山口光輝、同松田龍盛(以上、当審)の各証言、松浦忠夫、竹本不二夫の検察官に対する各供述調書並びに押収してある「事務引継について要請」と題する書面(符号六号のうちの一部)その他原審及び当審において取調べた関係証拠を綜合すれば、昭和三一年五月の旅費法改正に伴い三等運賃に格下げされた六級職以下四級職の職員の不利益を救済するため、各職場において運用によつて二等運賃との差額支給を受けられるよう各事務所毎に所長と交渉を行えとの中央からの指令にしたがい、全統計労働組合長崎支部は、長崎統計調査事務所長松浦忠夫と交渉した結果、六級職以下四級職の職員について二等運賃との差額を運用によつて補填支給させることに一旦成功したが、この取扱いは僅か二ヵ月程で中止されてしまつたこと、昭和三二年秋頃、全統計労働組合長崎支部は、前顕連絡四六号等による上部からの指令、指示にしたがい、再び、右松浦所長に対し、前記「係長通達」によつて二等旅費の支給を受けることのできないところの七等級在級職員及び八等級の職員について二等運賃との差額を運用によつて補填支給するよう強硬に要求した結果、同所長は遂にこれに応ずることを承諾したこと、長崎統計調査事務所においては、旅費予算は、各課の年間の業務計画に応じてあらかじめ配布し、その予算消化は各課の自主的運営にまかせられていたことなどから、右の運賃差額支給の具体的運用方法も各課の自治にまかせられ、かくして、その実際の運用は各課まちまちであつて、旅行日程を一日分水増して一泊分余分につけるとか、実際の旅行地よりは遠隔地に旅行した旅費請求をするとかして、差額支給の財源を捻出していたところもあつたが、また、各自が正規に支給を受けた旅費等の一部を積立てて置いてその資金の中から差額を支給する方法を講じていたところもあつたこと、右の差額支給は、昭和三六年九月に至るまで継続して実施されて来ていた(ただし、昭和三五年七月、国鉄運賃改正により三等が廃止されたことにより、それ以後は、旅費法上、六等級以上は一等運賃、七等級以下は二等運賃となつたが、従前の取扱いに準じ、旧七級職者で七等級に格付けされた者は一等旅費が支給され、それ以外の七等級の職員及び八等級の職員については一等運賃との差額が同一の運用方法によつて支給されていた)ことが認められる。

なお、右の三等運賃適用者に対する二等運賃との差額支給の運用上の取扱は、旅費法上は三等運賃適用者である七等級に在級する者であつても、昭和三二年新給与法による俸給表改定時において旧七級職在級者であつた者については、前記の「随行通達」及びその拡張的運用を認めた「係長通達」によつて二等旅費の支給が認められたこと、特に「係長通達」における「係長に相当する職務」の認定が各命令権者の判断に一任され、したがつて、旧七級職在級者であつて七等級に格付された者については、全員について二等旅費支給が可能となつたことに依拠し、これと並行的に実施されるところとなったものであることが窺われるところ、右「随行通達」「係長通達」の根拠となつた前記の国会付帯決議にしたがえば、右各通達は、いずれも、旧七級在級者が七等級に在級する間における暫定的な措置として講ぜられたものと推認される。しかして、九州農政局長崎統計情報事務所長作成の昭和四八年八月二四日付「資料提出について」と題する書面(俸給切替調書添付)、同所長作成の同年八月一〇日付「福岡高検よりの照会に対する回答」と題する書面、同所長作成の昭和四九年三月二九日付「福岡高検よりの照会に対する回答」と題する書面、同所長作成の同年七月一三日付「福岡高検よりの照会に対する回答」と題する書面及び同所長作成同年九月二八日付「福岡高等検察庁よりの照会に対する回答の訂正について」と題する書面によれば、長崎統計調査事務所(出張所を含む)においては、昭和三二年新給与法による俸給表改定時において、旧七級職に在級していた六一名が全員七等級に格付けされ、その後逐年それらの者の一部が六等級に昇格して行つたものの、昭和三六年一〇月当時において、なお右六一名中一三名(内本所勤務者は四名)の者が昇格されずに依然七等級にとどまつていたことが認められる。

証人松浦忠夫、同永田有、同佐々木文雄(以上原審)、同井手清治、同苣田義一郎、同岡忠治、同綾部賢(以上当審)の各供述並びに押収してある松浦所長時代労組関係書類綴一冊符号一一六号)、所長、庶務課長の辞任に伴う労働慣行再確認書(符号四)、労組関係綴(符号五号)その他原審及び当審において取調べた各証拠によれば、昭和三〇年三月から同三五年四月二日まで長崎統計調査事務所長の職にあつた松浦忠夫は、同事務所(出張所を含む)職員の勤務の条件等に関して組合側(当初は全統計労働組合長崎支部が交渉当事者であつたが、昭和三三年全農林省労働組合が連合体組織から単一組織に組織替えされたのに伴い、その後は全農林労働組合長崎県本部が交渉当事者となつた)と合意に達した事項に関し、前所長時代からの合意事項をも含めて組合側と個別的に書面を作成して相互に確認した事項もあつたところ、昭和三三年七月頃、全統計労働組合長崎支部との間において、個別の合意事項を総括して、一七項目に亘る事項を労働慣行として文書によつて確認し合うなどし、次いで、翌三四年一〇月頃、全農林労働組合長崎県本部との間において、文書により、右全統計労働組合長崎支部との確認事項を再確認し、さらに何項目かの事項を追加して確認し合つたこと、右の一七項目に亘る労働慣行の内容は原判決が認定するとおりのものであつたこと、昭和三五年三月、松浦所長の退職と庶務課長の転任が内定すると、長崎県本部においては、直ちに同所長及び庶務課長に対し、従前からの組合との確認事項(一七項目の労働慣行を含む)を後任所長に対して引継ぐことの確約を迫り、右確認事項の一切を後任の所長、庶務課長に引継ぐことを文書をもつて確約させたことが認められる。

しかして、早水新所長の着任後の本件争議に至る経緯は、原判決挙示の関係証拠によれば、原判決中の第一の2の一の(三)(四)及び二の(一)ないし(四)において認定されたとおりであつて、旧第二審及び当審の事実調の結果並びにその他の各証拠を検討しても、事実誤認の点を発見することができない。

したがつて、本件争議の直接の目的は、早水所長に対し九・一宣言を撤回させ、前記労働慣行(14)項にしたがい、二等運賃適用者について一等運賃との差額支給を継続実施させることにあつたものといわざるをえない。右旅費慣行の運用の実際の方法は、各課の自治に委ねられていたため、課によつては各自が正当に支給を受けた旅費の一部を積立てて置き、それを財源として差額支給に当てていたところもあつたとはいえ、旅行日程を一泊分水増ししたり、旅行先を実際の旅行地以外の場所にした旅行命令書等必要書類を作成して差額支給の財源を捻出していた課もあつたところから、早水所長は、右旅費慣行が旅費法に違反する違法な慣行であるとの見解を抱くに至つたものと認められ、長崎統計調査事務所において実施されていた右旅費慣行は、旅費法によつて裁量の許される限度を逸脱したものを含むものであつて、旅費法に違反する面を有するものであつたことは否み難いところであろう。そのうえ、当審(差戻後のみ)証人江田虎臣の供述によれば、全農林省労働組合の幹部においては、前記家治課長の了解に基くものとはいえ、運賃差額支給の運用は、あくまでも現地の各命令権者の裁量権の発動として行われるものであるから、実力行使に訴えてまでその継続実施を要求しうべきものと考えていなかつたことが窺われるのであつて、右旅費慣行の継続実施の要求がいわゆる争議の目的としても正当なものであつたことは到底認め難い。

しかして、原判決挙示の関係証拠によれば、原判決が「罪となるべき事実」として認定したところの各事実を優に肯認しうるところであつて、記録を精査し旧第二審及び当審における事実調の結果を勘案しても、右認定を覆えすに足る資料は見出し難い。すなわち、原審証人早水信夫、同岡本猛雄、同松尾芳二郎、同中川光雄、同川上嶺男、同有薗隆夫、同大場末亀、同小林六郎、同木下實、同橋本満吉及び同森茂市の各供述並びに岡本猛雄(三通)、松尾芳二郎、大場末亀(二通)、小林六郎(二通)、木下實、橋本満吉及び森茂市の検察官に対する各供述調書等によれば、全農林労働組合長崎県本部においては、九・一宣言の撤回をめぐる早水所長との交渉が難航し、中央執行委員の派遣を求めてこれを交えて交渉してもなお進展を見ないところから、既に、昭和三六年一〇月二日開催の県本部執行委員会において本所分会臨時大会の議決結果をも考慮に入れたうえ、早水所長が九・一宣言の撤回要求に応じないときには、座りこみによる実力行使をも辞すべきではないとの基本方針が決定されていたものであるが、同月一二日遂に早水所長から九・一宣言の撤回要求には応じられない旨の最終回答が出されたところから、被告人両名を含むところの県本部及び本所分会の各役員、闘争委員は、直ちに長崎統計調査事務所内の宿直室に集合し、戦術委員会を開催し、その席上において、被告人上野は、「所長を代えたところで、問題は解決されない。今の所長に対して、実力行使して要求を認めさせるべきである。」旨の発言をし、これに対し、他の出席者からは特段の異論が出されなかつたため、実力行使に入ることの最終決定がなされ、次いで被告人今村の意見によつて、本所分会所属組合員において二班に分れて二時間交代で座りこみを実施することが決定されたこと、続いて、同日午後三時頃から同事務所内水産作況課の部屋を使用して同事務所職員竹本不二夫等約五〇名が集合し、本所分会臨時大会が開催され、その席上において、被告人上野は、「所長が組合の要求を拒否した、誠意が全くない、明一三日から坐りこみを実施する、最後まで団結して頑張り抜いて貰いたい。」等と出席者に呼びかけ、被告人今村は、坐りこみの実施方法、それに伴う注意事項等につき詳細な指示を与え、ともに、同事務所職員の就業放棄方を慫慂したこと、さらに、翌一三日から同月二五日までの坐りこみ実施期間中を通じ、連日の如く、被告人両名が、交々、携帯マイクを使用するなどして、同事務職員に対し、「団結を固め最後まで闘おう。」「所長が反省するまで徹底的に闘おう。」「当局より一日長く頑張ろう。」などと訴えて、坐り込みによる就業放棄の実力行使を激励鼓舞して士気を煽り、早水所長の命を受けて、庶務課長が、口頭ないし警告文書をもつて、坐りこみ中の組合員に対し「坐りこみは国家公務員法違反の争議行為であるから即刻これを中止して職場に復帰せよ。」と命ずると、被告人上野は、組合員に対し、「我々のしていることは争議行為ではない、抗議行動に過ぎないから、国家公務員法違反にはならない。」などと反駁するなどして、その就業放棄の継続方を慫慂したことが明白に認められるのである。

しかして、国公法一一〇条一項一七号所定の各行為のうち、「あおり」とは、同法九八条五項前段(改正後は、同条二項前段)に定める違法行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、または既に生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えることというものと解するのが相当であるから、被告人両名の右各所為はいずれも右の「あおり」に該当するものといわざるをえない。

所論は、被告人上野は、県本部執行委員会の決定により同委員会を代表して、委員長代理として統計調査事務所に常駐し、所長との交渉、県本部と現場の連絡、その他全般の指揮をとる任務を与えられていたところから、その任務の遂行として闘争全般の指導に当つていたに過ぎないものであり、被告人今村は、本所分会執行委員長として分会員全体の掌握に当り、さらに執行委員会等で決つた坐りこみの方法、時間、班割りその他の注意事項を分会員に伝えたり、経過報告をしたりしていたに過ぎないものであつて、いずれも「あおり」に当たる行為にはなんら及んでいなかつたものである旨主張するけれども、被告人両名が本件坐りこみによる実力行使の実施の際に果した役割は、組合の上部機関からの伝達事項を単に機械的に下部組織に伝達したにとどまるものでなかつたことはさきに認定したところによつて明らかであるから、被告人両名の前示各所為が国公法一一〇条一項一七号にいわゆる「あおり」に当たらないということは到底できない。

また、所論は、本所分会臨時大会において提案され、可決された九・一宣言撤回の要求は、単に旅費慣行の継続実施を要求したものにとどまるものではなく、早水所長の慣行無視の態度、反動的労務政策を改めさせようという要求であつたのであつて、正当性のある目的を有するものであつたのに拘らず、原判決は、これを旅費法に違反するところの旅費慣行の継続実施を要求する違法行為を目的としたものである旨事実を誤認しているものであると主張するので、判断を加えるに、関係証拠によれば、本所分会所属の組合員らの間には、早水所長が人事異動などにおいて次々と打ち出して来る慣行無視の態度、一般職員にのみ職場規律の厳守を命じながら、自らは勤務時間中に正当な理由もなく離席してなんら憚らない独善的な労務管理、事務所運営の姿勢を示すこと等に対し強い不信、忿懣の念が漲り、これが早水所長が九・一宣言をもつてなした従来からの旅費慣行の一方的破棄に触発され一気に噴出して、長期間に亘つた本件坐りこみを支える力の源泉となつたことは十分に窺いうるところであるが、しかし、本件争議に至る経緯に照らすと、組合側においては、従前からの労働慣行の是正につき早水所長との交渉において逐次妥協すべきものは妥協して話合をすすめ、同所長が重点的交渉目標として絞つたレクタイム、超勤手当一率パー支給、旅費運用の三点について集中的に話合を重ね、レクタイム、超勤手当の問題については妥協点を見出し解決をみたのであるが、旅費運用の問題に関しては交渉が難航し、組合側においては従来の慣行から一歩も譲ることができない旨回答したことから、早水所長が九・一宣言をもつて旅費慣行の廃止を一方的に通告するに至つたこと、かくして、その後は、組合側が早水所長に対し九・一宣言の撤回を強く要求して迫つたものの同所長がこれを肯んじなかつたところから、本件争議に至つたものであつて、本件争議の直接の目的が九・一宣言の撤回要求、つまり従前の旅費慣行の復活、継続実施の要求にあつたものであることが明らかである。

次に、所論は、原判決が理由の第四の六において、組合のとつた坐りこみという闘争手段が唯一且つ最終的手段であつたということは到底できないし、手段としても相当性、許容性を認めることはできない旨の判示している点は事実誤認である旨主張するので、付言するに、当裁判所は、国公法一一〇条一項一七号に違反する争議行為については、労働組合法一条二項の適用の余地がないとの立場に左袒するものであるから、本件争議行為が労働組合法一条二項に照らし手段としての正当性を有するか否かの判断につき原判決に事実誤認があるとしても、この誤認は判決になんら影響しないものと解する。

もつとも、公務員の団体行動とされるもののなかでも、その態様が単なる規律違反の程度にとどまるものについては、その煽動等の行為が国公法一一〇条一項一七号所定の罰則の構成要件に該当しないものと解すべきであり、また、右罰則の構成要件に該当する行為であつても、その態様その他の具体的事情に基き法秩序全体の精神に照らし社会的に許容される程度のものと認められるときは、刑法上違法性が阻却される場合もありうるものと解されるのであるが、本件争議行為は、一〇日間の長期間に及んだものであり、しかも、当局は長崎統計調査事務所勤務職員の半数宛が交替で坐りこみを実施して業務放棄をし、後半においては、職員全員が業務を放棄して座りこみに入つたものであつて、同事務所の業務に甚大な支障を生ぜしめたものというべく、単なる規律違反の程度にとどまつたものとはもとよりいいえないものであり、また、法秩序全体の精神に照らして社会的に許容される程度のものということも勿論できないのである。

したがつて、被告人らのなした本件「あおり」行為について、本件争議行為の手段としての相当性、許容性が認め難い故に、刑法上正当行為として違法性を阻却される余地はないとした原判決の判断は、その結論において相当である。

以上のとおりであるから、結局、所論は理由がなく、論旨は採用できない。

三  弁護人の控訴趣意第一点及び第二点について

所論は、要するに、国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの。以下、国公法という。)九八条五項は憲法二八条に違反し、また、国公法一一〇条一項一七号は憲法二八条に違反するばかりか、同法一八条、二一条、三一条にも違反する規定であつて、いずれも無効のものであるのに、原判決はこれを看過し国公法の右各規定が憲法に適合した有効なものであるとしてこれを適用し被告人両名に対し有罪の宣告をなしたものであつて、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りがあり、破棄を免れないというにある。

よつて、以下判断を加える。国家公務員法の適用を受けるいわゆる「非現業の国家公務員」(以下、単に公務員という。)も、いわゆる勤労者に該るものであるから、憲法二八条の労働基本権の保障が及ぶものと解すべきことは、所論指摘のとおりである。しかしながら、労働基本権といえども、それ自体が目的とされる絶対的なものではないのであつて、国民全体の共同利益に照らして必要かつ合理的な制約を免れないのである。殊に公務員については、その地位の特殊性と職務の公共性とに鑑み、一般私企業の労働者とは異つた制約を加える合理的な必要があり、したがつて、その必要性に応じて相当な制限を加えるのもやむをえないものといわざるをえない。しかして、公務員は、国政の円滑な運営のためにその職務に従事しているのであるから、その担当する職務内容の如何を問わず、その職責を果すことが国民全体のために必要不可欠なのであつて、公務員が争議行為に及ぶときは、多かれ少なかれ国政の運営を阻げ、これがひいては国民全体の共同利益を損うか、またはその慮れがあるのであるから、公務員について一律かつ全面的にその争議行為を禁止することは、十分合理性があるものと認められる。

そして、公務員は、特殊の公務員を除き、その労働基本権のすべてについて制約が課せられるのではなく、団結権の自由が保障され、私企業におけるような団体協約締結権は認められていないものの、原則的には交渉権が認められているのである。ただ、争議権に関しては、国公法九八条五項(改正後国公法九八条二項)により、政府が代表する使用者としての公衆に対して、同盟罷業、怠業その他の争議行為をなし、または政府の活動能率を低下させる怠業的行為をなすことが禁止され、また、何人たるを問わず、このような違法な行為を企て、その遂行を共謀し、そそのかし、もしくはあおつてはならないとされ、この禁止規定に違反した職員は、国に対し国公法その他に基づいて保有する任命または雇用上の権利を主張できないなどの行政上の不利益を免れないものとされるが、しかし、処罰の対象とされるものは、争議行為に対する原動力を与え、争議の開始ないしその遂行の原因を作るところの、争議行為を共謀し、そそのかし、もしくはあおり、またはこれらの行為を企てた者のみに限定されるのであつて争議行為の単純参加者は処罰の対象から除外されているのである。それに加えて、法は、右の争議行為等の禁止に伴う代償措置として、公務員について、身分、任免、服務給与その他に関する勤務条件について周到詳密な規定を設けて、法律によつて定められる給与準則に基づく給与を受ける等のいわゆる法定された勤務条件を享有させ、さらに、或る程度の独立性の保障された準司法機関的性格を有する人事院を設けて、これに対し、公務員の給与その他の勤務条件についていわゆる情勢適応の原則により国会および内閣に対し勧告または報告する義務を課する一方、公務員が、俸給、給料その他の勤務条件に関し、人事院に対しいわゆる行政措置要求をし、また、もし不利益処分を受けたときには、人事院に対し審査請求をする途をも開いて、公務員の身分保障を計つているのである。右のとおり、公務員が争議行為等の禁止によつて蒙るべき不利益を抑制する措置が講じられていることをも併せて勘案すれば、公務員に対する争議行為等の禁止によつて失われる利益が、右禁止によつて得られる利益に比して権衡を失しているということはできない。

以上のとおりであるから、国公法九八条五項、一一〇条一項一七号(改正国公法九八条二項、一一〇条一項一七号)にかかる公務員の争議行為およびそのあおり行為等の禁止ならびにいわゆる「あおりそそのかし行為等」を処罰する規定は、憲法一八条、二八条に違反するものではない。

弁護人は、国公法一一〇条一項一七号の処罰規定は、争議の実行行為を不処罰としながら、共謀、あおり、そそのかし等の行為のみを処罰の対象としている点において近代刑法の基礎理念に反しており、また、同条が処罰の対象とする犯罪の構成要件は明確性を欠いていて、憲法三一条に違反する規定である旨主張する。国公法の右規定は、何人たるを問わず、国公法九八条五項前段(改正国公法九八条二項前段)に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、もしくはあおり、またはこれらの行為を企てた者を処罰する旨規定しているところ、ここに「共謀」とは、二人以上の者が、同法九八条五項前段に定める違法行為を行うため、共同意思のもとに一体となつて互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をすることをいい(最高裁昭和二九年(あ)第一〇五六号、昭和三三年五月二八日大法廷判決参照)、「そそのかし」とは、同法九八条五項前段に定める違法行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を新たに生じさせるに足りる慫慂行為をすることをいい(最高裁昭和二七年(あ)第五七七九号、昭和二九年四月二七日第三小法廷判決参照)「あおり」とは、右の目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢いのある刺戟を与えることをいい、また、「企て」とは、右のごとき違法行為の共謀、そそのかし、またはあおり行為の遂行を計画準備することであつて、違法行為発生の危険性が具体的に生じたと認めうる状態に達したものをいうものと解するのが相当であり(いずれの場合にせよ、単なる機械的労務を提供したに過ぎない者、またはこれに類する者は含まれない)(最高裁昭和四三年(あ)第二七〇八号、昭和四八年四月二五日大法廷判決参照)、したがつて、国公法一一〇条一項一七号に規定する犯罪構成要件が不明確であるということはできない。また、違法な行為につき、その前段階的行為であるあおり行為等のみを独立犯として処罰することも、これらの行為が違法行為に原因を与える行為として単なる争議への参加に較べ社会的に責任が重いと認められる以上、決して不合理であるとはいい難い(前掲大法廷判決参照)。したがつて、右国公法の規定が憲法三一条に違反するものということはできない。

弁護人は、国公法一一〇条一項一七号により処罰の対象とされる「あおり、そそのかし」行為は、個人の表現行為であるところ、これを刑事罰の対象とすべき合理的にしてかつやむをえざる必要性はなく、右国公法の規定は憲法二一条に違反する旨主張する。憲法二一条の保障する表現の自由といえども、絶対無制限のものではなく、公共の福祉に反する場合には合理的な制限を加えるものであることは、多言を要しないところである。しかして、前判示のとおり、国民全体の共同利益に照らし、公務員については、その争議行為等を一律かつ全面的に禁止する必要性があり、この禁止のために設けられた国公法九八条五項、一一〇条一項一七号(改正国公法九八条二項、一一〇条一項一七号の規定が、その目的に照らして相当であり、権衡を失しているものとは認められない以上、この規定により言論の自由に制限が加えられるとしても、公共の福祉のため必要にしてかつ合理的な制限といわざるをえないのであつて、これをもつて憲法二一条に違反するものということはできない。

四  弁護人の控訴趣意第三点について

所論は、要するに、原判決は、国公法九八条五項一一〇条一項一七号がILO八七号条約、同一〇五号条約に違反するものではないとしているが、これは法令の解釈、適用を誤つたものであつて、この誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるというにある。

よつて、判断を加える。批准を経た条約および確立された国際法規が、遵守されるべきものであることは、国際信義に鑑みまた憲法九八条二項の規定に照らしていうまでもないところである。しかして、ILO八七号条約は、昭和四〇年五月批准を経たものであるが、この条約は、もっぱら勤労者の団結権の保障と結社の自由にかかわるものであつて、勤労者の争議権に直接かかわるものとは認め難く、現に、右条約の批准に伴い、これに抵触する虞れのある国公法の諸規定は、昭和四〇年法律第六九号によつて改廃整備されたのであるが、争議行為等の禁止を規定した国公法九八条五項六項、一一〇条一項一七号は改正後の国公法九八条二項三項、一一〇条一項一七号としてそのまま維持存続されているのであつて、右争議行為禁止の規定がILO八七号条約に直接抵触するものとは認め難い。

また、ILO一〇五号条約は、昭和三二年六月、国連の国際労働機関の総会において強制労働の廃止に関する条約として選択されたものであつて、労働規律の手段或は同盟罷業に参加したことに対する制裁としてすべての種類の強制労働を禁止する規定を設けているものであるが、昭和四三年の国際労働機関第五二回総会に提出された条約勧告適用専門家委員会報告によれば、右条約の強制労働の禁止は一切の例外をも認めない趣旨のものではなく、必要不可欠な役務に就労する者については、代償的保障が設けられていることを条件として、同盟罷業に参加したことに対して刑罰を科することが例外的に許されるものと考えられていることが明らかであるから、現行の国公法の争議行為等禁止の規定がILO一〇五号条約に抵触するものと即断することはできない。

以上のとおりであるから、右の点に関する原判決の判断はその結論において正当であつて、法令の解釈、適用に誤りがあるものとは認め難く、論旨は理由がない。

五  弁護人の控訴趣意第六点について

所論は、要するに、憲法的秩序に照らしてその目的において正当であり、手段、方法がその目的達成のために相当なものであり、かつ、侵害された法益と守られた法益とが権衡を失していないときには、その行為は社会的に相当な行為ないし超法規的違法阻却事由のある行為として違法性を有しないものとされるべきところ、本件坐りこみはその目的において正当であり、手段、方法においても相当性、許容性を有し、それによつて生じた業務遅延も僅少であつて、法益権衡を失していないのであつて、社会的相当行為ないし超法規的違法阻却事由のある行為として違法性の欠けるものであるから、右坐りこみ行為に関し組合役員として職責上これを指導する等した被告人両名の本件各所為も違法性を有しないものであるに拘らず、原判決は、これを看過して被告人両名に対し有罪の宣告をなしているのは、事実誤認ないし法令の解釈適用を誤つたものであつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄されるべきであるというにある。

よつて判断を加えるに、本件争議は本件旅費慣行の継続実施をその主要な目的とするものであつたところ、右旅費慣行が旅費法に違反する面を有するものであつたことは否定し難く、したがつて、その慣行の継続実施を要求することが争議の目的として正当なものであつたとは到底認め難いものであることは、さきに判示したとおりであり、しかも、国家公務員について争議行為等を禁止した国公法九八条五項(改正後は九八条二項)一一〇条一項一七号の規定が憲法に適合するものであることは前判示のとおりであるから、本件争議行為が憲法的秩序に照らしてその目的において正当なものということはできない。また、本件争議行為がその態様その他諸般の事情を斟酌しても、単なる規律違反としての評価を受けるにとどまるものとは認め難く、かつ、全法律秩序の精神に照らして社会的に相当な行為として許容される限度にとどまつたものとも認め難いものであつたことはさきに判示したとおりであるから、本件争議行為につきいわゆる「あおり」行為をなした被告人両名の本件所為が、社会的相当行為ないし超法規的違法阻却事由のある行為として違法性のないものであるということは、決してできない。

したがつて、所論は採用するに由なく、論旨は理由がない。

六  検察官の控訴趣意について

所論は、要するに、原判決の被告人両名に対する量刑はいずれも軽きに失し不当であるというにある。

よつて、本件記録及び原審取調の証拠に現われる被告人両名の犯情を検討するに、

被告人両名の本件犯行は、原判決の認定判示するとおりであつて、被告人上野は、全農林労働組合長崎県本部副執行委員長、被告人今村は、同本部統計本所分会執行委員長であつたところ、長崎統計調査事務所職員竹本不二夫等約五〇名をして就業を放棄して同盟罷業を行わしめようと企て、共謀のうえ、昭和三六年一〇月一二日、同事務所内で開かれた本所分会臨時大会において、右職員らに対し、被告人上野において、所長が組合の要求を拒否したので明一三日から坐りこみを実施する、最後まで団結して頑張り抜いて貰いたい旨強調し、被告人今村において、座りこみの方法、注意事項等を指示して就業放棄方を慫慂し、翌一三日より一七日まで(但し、一五日の日曜日を除く。)は職員の半数宛が二時間交代で、同月一八日より二四日まで(但し、二二日の日曜日を除く。)は全員一斉にそれぞれ勤務時間中の座りこみがなされたが、その座りこみ中の職員に対し、被告人両名において、連日の如く、携帯マイクを使用するなどして、交々、「団結を固め最後まで闘おう。」などと強調し、さらに、被告人上野において、当局側の発する警告に反駁して、「我々のしていることは争議行為ではなく抗議行為に過ぎず、国家公務員法に違反しない。」などと強調して、いずれも就業放棄の継続方を慫慂して、国家公務員である前記職員に対し同盟罷業の遂行をあおつたものであることに鑑みると、被告人両名の刑責を軽くみることはできないのであるが、しかしながら、他面、本件旅費慣行成立のいきさつならびにこの慣行が同事務所において命令権者である所長の旅費予算の運用として四年間程に亘り実施されて来ていたものであることなどの諸事情に照らすと、早水所長が九・一宣言をもつて一方的にその慣行の破棄を通告したのは、労務管理として短兵急に過ぎたものとの謗りを免れ難いこと、同所長が着任後次々と打ち出した慣行無視の態度、独善的な労務管理、事務所運営の姿勢に対する強い不信と忿懣が職員間に漲つていたことが長期間に及ぶ本件争議を誘発する一因となつたことも否み難いこと、被告人両名の右所為は、組合役員としての立場上組合執行部の方針に従つて行われたものであつたことなどの被告人両名に有利な事情も認められるのであつて、これら諸事情を彼此総合すると、原判決の被告人両名に対する刑の量定はあながち不当と断ずることはできないものであり、その他記録を精査し、当審における事実取調の結果を加えて検討しても、原判決には所論指摘の如き犯情に関する事実の誤認はなく、原判決の右科刑を変更すべき事由は発見できない。

よつて、論旨は理由がない。

七  なお、職権により調査するに、原判決は、国家公務員法の一部を改正する法律(昭和四〇年法律第六九号)附則二条六項により同法による改正前の国公法一一〇条一項一七号、九八条五項を適用すべきであつたのに、改正後の国公法一一〇条一項一七号を適用しているものであつて、この点において法令の適用を誤つたものといわざるをえないのであるが、しかし、その改正の前後を通じ、その法定刑に軽重の差は全くないのであるから、この法令適用の誤りは判決になんら影響しないものといわざるをえない。

八  結び

以上のとおりであるから、刑事訴訟法三九六条に則り、被告人両名及び検察官の各控訴をいずれも棄却するとともに、同法一八一条一項本文、一八二条に従い当審(差戻前及び差戻後)における訴訟費用を全部被告人両名の携帯負担とする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤原高志 金澤英一 江口寛志)

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